
父が施設に入り、家の空気が静かに変わった
父が施設に入ることが決まったとき、家の中には言葉にできない重さがあった。
母は強く拒んだ。 「家で見たい」「最後まで一緒にいたい」 その気持ちは痛いほど分かった。
しかし、病院の看護師、ソーシャルワーカー、ケアマネが家に来て、実際に生活動作を確認した結果── 要介護の父を家で支えるのは到底無理と判断された。
施設が決まるまで、病院は退院を許してくれなかった。 それほど、家での介護は現実的ではなかった。
父が施設に入った日、家の空気は静かに変わった。 母の寂しさは、言葉にしなくても伝わってきた。
母がふと漏らした「犬を飼いたい」という言葉
そんなある日、母がぽつりと言った。
「犬を飼いたい」
その言葉には、寂しさと、何かを埋めたい気持ちが滲んでいた。 私は、少しでも母の心が軽くなるならと思い、マルプーを迎えることにした。
小さくて、ふわふわで、愛らしい。 母の表情が少しだけ明るくなったのを覚えている。
しかし、母には世話が難しかった
現実は、想像よりも厳しかった。
散歩、食事、トイレ、しつけ。 高齢の母には負担が大きく、次第に疲れが見え始めた。
「やっぱり無理かもしれない」
その言葉を聞いたとき、私は自然にこう言っていた。
「じゃあ、俺が面倒を見るよ」
こうして、マルプーは私と暮らすことになった。
予想外だったのは、救われたのが“私のほう”だったこと
仕事、介護、日々の疲れ。 気づけば、心に余裕がなくなっていた。
そんな私を、マルプーはいつも全身で迎えてくれた。 玄関を開けると、しっぽを振って飛びついてくる。 散歩に出れば、自然と呼吸が整い、気持ちが軽くなる。
「この子がいてくれてよかった」
そう思う瞬間が、日に日に増えていった。
今では、母がマルプーの訪問を心待ちにしている
そして今。 実家に行くと、母はマルプーが来るのを心から楽しみにしている。
「今日は来るの?」 「かわいいねぇ、ほんと癒されるね」
まるでセラピードッグのように、母の表情が明るくなる。
さらに最近では、母がこう言うようになった。
「2〜3日なら、私が面倒を見たい」
最初は世話が難しいと言っていた母が、今では自分からそう言う。 小さな命が、母の心を再び温めてくれたのだ。
家族の形は変わっても、つながりは続いていく
父が施設に入り、家族の形は変わった。 でも、つながりは途切れなかった。
むしろ、マルプーという小さな存在が、 母と私の心をそっとつないでくれた。
支えるつもりで迎えたはずが、 気づけば支えられていたのは私たちのほうだった。
57歳になって、ようやく分かったことがある。
心の余白は、意識してつくらないと失われていく。 そして、その余白を取り戻してくれるのは、 ときに人ではなく、小さな命だったりする。


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