経済的自由がくれた「辞めてもいい」という安心 ― 50代、揺れながらも自分の人生を取り戻す ―

退職を申し出た。 でも、上司に引き留められた。

「今期中にけりをつけよう」と思っていたけれど、 「時期は気にしなくていい」と言われた。

5月までいればボーナスが出る。 それをもらうことに、最初は抵抗があった。

でも、「少しでも長くやってほしい」と言われたとき、 それは“交換条件”ではなく、“願い”として響いた。

心も体も限界に近い。 それでも、いま自分がここにいる意味を、 もう少しだけ見届けてから、次へ進もうと思った。

降格という名の“軽減”

「補佐でいいから」と言われて引き受けた。 でも、気づけば係長も兼任し、出向者の教育係になり、 前役職と同じように担当も持たされていた。

責任は軽くなったはずなのに、 仕事量は前よりも、むしろ増えていた。

「介護がある」と伝えた。 でも、配慮されたのは“肩書き”だけだった。 現実は、何も変わらなかった。

それでも、ぼくが選んだ“少しの猶予”

退職を伝えたとき、正直、引いたら負けだと思った。 この会社に、楽な場所なんて存在しない。 どこにいても、何をしても、結局は同じ。

だからこそ、自分の意思で動くしかないと思った。

39年、お世話になった会社だ。 早期退職を募っているわけでもなく、常に人手が足りない。 そんな中で辞めることは、会社を裏切るような気がして、 どうしても踏み出せなかった。

でも、ぼくには理由があった。 父の遺産の整理、母の介護、積み重なる仕事のプレッシャー。 そして、経済的自由を手にした今、ようやく「やりたいことに時間を使う」という選択肢が見えてきた。

だからこそ、迷いながらも、少しずつ前に進もうと決めた。

給料は減るだろうし、何もいいことがないと思うかもしれない。 それでも、退職の意思はすでに伝えてある。

もし、あのときすぐに了承されていたら、きっと3月で辞めていた。 でも、そうはならなかった。

今は、2年我慢することも視野に入れている。 それが情けなく感じる瞬間もあるけれど、 「いつでも辞められる」という安心感が、 少しだけ、ぼくのストレスを和らげてくれている。

揺れながらも、自分の足で立つ

円満退職なんて、きっと無理だ。 誰かに惜しまれながら去ることも、 感謝されて送り出されることも、期待していない。

それでも、同僚や部下の顔が浮かぶ。 彼らに迷惑をかけたくないという気持ちが、 ぼくの足を、少しだけ引き留めた。

それでも、ぼくは経済的自由を手に入れている。 いつ辞めても、経済的に困ることはない。

自由な時間ができれば、介護も今よりはきっと楽になる。 上司にも、辞める意思は一度伝えてある。

「やめるやめると言って、いったいどうするつもりなんだ」 そんなふうに思われるのが怖かった。

でも、今度は違う。 本当につらくなれば、辞められる。

そう思えるだけで、少しだけ心が軽くなった。

そして、これから

たしかに、今の状況は理不尽だ。 でも、もう誰かの期待や都合に、 自分の人生を明け渡すのはやめようと思った。

ぼくには、やりたいことがある。 伝えたいことがある。 守りたい時間がある。

「1億の道」は、ただのお金の話じゃない。 自分の時間を取り戻し、誰かの力になれる人生を生きるための道だ。

そのために、ぼくは学び、書き、発信する。 たとえ今は、足元がぐらついていても、 一歩ずつ、自分のリズムで進んでいく。

退職に悩んでいるあなたへ

辞めるか、続けるか。 その選択に、正解なんてない。

ただひとつ言えるのは、 「自分の人生を生きる覚悟」は、誰にも奪えないということ。

ぼくは今、心も体も揺れている。 でも、それでもいいと思っている。

揺れながらでも、自分の足で立って、歩き出せばいい。 その一歩が、きっと未来を変えていくから。

この言葉が、かつてのぼくのように悩んでいる誰かの背中を、 そっと押せたら嬉しい。

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